はじめに
検査をしても「異常なし」と言われるのに、お腹の調子が悪い。
通勤前や大事な予定の前になると、決まってお腹が痛くなる。
食事の内容に気をつけても、しばらくすると症状が戻ってくる。
そんな経験はありませんか。
過敏性腸症候群(IBS)は、腹痛や腹部の不快感と、下痢・便秘などの便通異常を繰り返す状態です。検査では大きな器質的異常が見つからないことも多く、「病気ではない」と受け取られてしまうことがあります。
しかし、検査で異常が見つからないことと、症状が存在しないことは同じではありません。
IBSでは、腸の動きや知覚の変化に加えて、ストレスや心理社会的な要因、腸と脳の相互作用など、さまざまな要素が関係しています。日本消化器病学会のガイドラインでも、IBSの病態としてストレスや心理的要因、神経・内分泌などの関与が検討されています。
以前の記事「慢性的な肩こりが治らない本当の理由」「慢性的な頭痛・片頭痛が治らない理由」「顎関節症・歯の食いしばりが治らない理由」では、身体の緊張と神経系の関係についてご紹介しました。
お腹の不調についても、「腸だけを見る」のではなく、腸と脳、そして身体全体の反応を見ることで、症状を別の角度から理解できることがあります。
ただし、腹痛や便通異常にはIBS以外の病気が原因となっている場合もあります。
血便、意図しない体重減少、発熱、貧血、夜間に症状で目が覚める、50歳以上で初めて症状が出たなどの場合は、自己判断でIBSと決めつけず、まず消化器内科にご相談ください。
お腹は「腸だけ」の問題ではない
IBSは、単純に「腸が弱い」「胃腸が悪い」というだけでは説明できないことがあります。
腸は、食べ物を消化して栄養を吸収するだけの器官ではありません。
腸には「腸管神経系」と呼ばれる独自の神経ネットワークがあり、腸の運動や分泌などを調節しています。また、腸と脳は自律神経系や内分泌系、免疫系などを介して、常に情報をやり取りしています。
このような腸と脳の双方向の関係を、**腸脳相関(gut-brain axis)**と呼びます。
そのため、腸で起きていることが脳や神経系に影響し、反対に、ストレスや緊張などの状態が腸の働きに影響することがあります。
たとえば、
「仕事の日だけお腹が痛くなる」
「人前に出ると急に便意を感じる」
「旅行の日になると便秘になる」
「家に帰ると少し楽になる」
といったことがあります。
もちろん、これらをすべて「ストレスが原因」と決めつけることはできません。
ただ、症状と特定の状況が繰り返し結びついている場合には、腸だけでなく、腸と脳の相互作用にも目を向ける意味があります。
なぜ「ここぞ」という場面で症状が出るのか
「大事な会議の前になると、決まってお腹が痛くなる」
「電車に乗ると、急にトイレに行きたくなる」
このような経験はありませんか。
緊張や不安があるとき、身体では心拍や呼吸、筋肉の緊張、腸の動きなど、さまざまな変化が起こります。
そして、こうした反応を何度も経験すると、特定の状況と身体反応が結びつき、似た状況に入っただけで症状が起こりやすくなることがあります。
たとえば、
「以前、会議中にお腹が痛くなった」
↓
「また痛くなるかもしれない」
↓
「会議が近づくと、お腹の感覚が気になる」
↓
「少しの違和感にも注意が向く」
↓
「さらに緊張する」
という循環が生まれることがあります。
これは「気のせい」という意味ではありません。
腹痛や便意などの身体症状は、実際に起きています。
むしろ、脳と腸が双方向に情報をやり取りしているからこそ、心理的な状態と消化管の症状が影響し合うことがあると考えるほうが自然です。
近年の研究でも、IBSに対する治療として、認知行動療法(CBT)や腸指向性催眠療法など、脳と腸の相互作用に働きかける「brain-gut behavioral therapies」が研究されています。2025年のネットワークメタ解析では複数の行動療法がIBSの全般的な症状改善に有効でしたが、研究にはバイアスの可能性もあり、エビデンスの解釈には慎重さが必要とされています。
「お腹が痛いから不安」なのか、「不安だからお腹が痛い」のか
実際には、そのどちらか一方とは限りません。
お腹の症状があるから不安になり、不安になるからさらにお腹の症状が強くなる。
このような双方向の循環が起こることがあります。
たとえば、外出先で急な腹痛を経験したとします。
その後、
「また外でお腹が痛くなったらどうしよう」
「トイレが見つからなかったら困る」
という予測が生まれる。
すると、外出そのものが緊張する状況になり、身体の感覚にも注意が向きやすくなります。
そして、お腹の小さな動きや違和感を「また痛くなるかもしれない」と捉えることで、さらに不安が高まることがあります。
このように、症状と予測、不安、身体反応が互いに影響し合うことがあります。
だからこそ、IBSを考えるときには、
「腸に何が起きているのか」だけでなく、「腸と脳の間で何が起きているのか」
という視点も大切になります。
呼吸とお腹の緊張に目を向ける
緊張しているときには、呼吸が浅く速くなったり、無意識に身体に力が入ったりすることがあります。
逆に、ゆっくりとした呼吸を意識することで、身体の緊張が少し和らぐこともあります。
ここで大切なのは、
「正しい呼吸をしなければいけない」
と頑張ることではありません。
むしろ、
「今、自分の呼吸はどんな状態だろう」
と気づいてみることです。
息を吸うとき、お腹はどう動いているでしょうか。
息を吐くとき、お腹まわりの力に何か変化はあるでしょうか。
変化がなくても構いません。
「変わらない」と気づくことも、身体を観察する一つの方法です。
神経系に目を向けるということ
IBSの症状があると、
「どうすればこの痛みをなくせるだろう」
「また下痢になったらどうしよう」
「早く治さなければ」
と、症状をなくそうとすることに意識が集中しやすくなります。
もちろん、症状を改善するための適切な治療を受けることは大切です。
その一方で、症状を常に監視し、「起きてはいけないもの」として扱い続けることが、かえって身体への注意を強めてしまう場合もあります。
そこで一度、
「治そうとする」のではなく、
「今、身体で何が起きているのかに気づいてみる」
という方向に意識を変えてみます。
たとえば、
「お腹が重い」
「みぞおちが固い感じがする」
「下腹部がざわざわしている」
「お腹の奥が縮こまっている感じがする」
など。
原因を考える必要もありません。
正しく感じる必要もありません。
ただ、今そこにある感覚に気づいてみます。
神経系への働きかけで、お腹の不調はどう変わるのか
身体の感覚に注意を向けるアプローチの一つに、SE™(ソマティック・エクスペリエンシング®)があります。
SEでは、身体に現れている感覚を丁寧に観察しながら、過度な緊張や防御反応が生じている状態に目を向けていきます。
たとえば、
「お腹のあたりに、どんな感覚がありますか?」
「重さはありますか?」
「つかえるような感じでしょうか?」
「ざわざわしていますか?」
といった問いかけを通じて、身体感覚をゆっくりと確認していきます。
ここで大切なのは、症状を無理に消そうとしないことです。
「この痛みをなくさなければ」
と力を入れるのではなく、
「今、こういう感覚がある」
と、少し距離をとって観察してみます。
身体の感覚に気づき、その変化を急いでコントロールしようとせずに見守る。
そうした経験を重ねることで、自分の身体の反応に対する捉え方が変わっていくことがあります。
ただし、ここは重要な点です。
SEそのものがIBSの治療として確立しているわけではありません。
SEについては、これまでの研究から身体症状やトラウマ関連症状などへの有望な結果が報告されていますが、研究の質にはばらつきがあり、より質の高い研究が必要とされています。
そのため、IBSについても「SEを受ければ改善する」と断定するのではなく、腸と脳の相互作用や身体感覚に目を向けるための一つのアプローチとして捉えるのが適切です。
また、IBSには食事療法、生活習慣の調整、薬物療法、心理療法など、さまざまな治療選択肢があります。症状や体質によって適した方法は異なりますので、医療機関での診断・治療と並行して検討することをおすすめします。日本消化器病学会のIBSガイドラインでも、食事、生活習慣、薬物療法、心理療法などがそれぞれ検討されています。
今日からできる小さな試み
お腹の調子が気になったとき、すぐに「治そう」とせず、30秒ほど身体を観察してみるのも一つの方法です。
1.お腹の感覚に気づく
お腹のあたりに、どんな感覚があるでしょうか。
重い。
固い。
つかえる。
ざわざわする。
縮こまっている。
どんな感覚でも構いません。
「よく分からない」というのも大丈夫です。
2.お腹に手を軽く当ててみる
片方の手をお腹に軽く当ててみます。
押したり、揉んだりする必要はありません。
ただ手を置いて、そこにある感覚を感じてみます。
3.吐く息に気づく
呼吸を無理に変える必要はありません。
自然に息を吐きながら、お腹まわりの力が少し抜ける感覚があれば、その変化に気づいてみます。
変化がなくても構いません。
「今日はあまり変わらないな」
と気づくだけでも十分です。
症状が強くなる場合や、不快感が増す場合は無理に続けないでください。
お腹の症状を「敵」にしない
IBSの症状が続くと、
「また痛くなった」
「どうして治らないんだろう」
「このまま一生続くのではないか」
と、症状そのものに強い注意が向きやすくなります。
もちろん、つらい症状をそのまま我慢する必要はありません。
必要な検査や治療を受けることは大切です。
そのうえで、
「症状をなくすこと」だけを目標にするのではなく、「症状がある身体とどう関わるか」にも目を向けてみる。
これは、IBSと長く付き合っていくうえで、一つの大切な視点になるかもしれません。
腸と脳は、常に情報をやり取りしています。
だからこそ、お腹の症状を「腸だけの問題」として見るのではなく、
「今、身体全体はどんな状態なのだろう」
「どんな場面で症状が起きやすいのだろう」
「そのとき、呼吸や身体の緊張はどうなっているのだろう」
と観察してみることにも意味があります。
まとめ
過敏性腸症候群(IBS)は、腸だけを見ていても十分に理解できないことがあります。
腸の動きや知覚の変化に加えて、ストレス、心理社会的な要因、痛みや便意への注意、そして腸と脳の相互作用など、さまざまな要素が関係しています。
そのため、
「食事を変えても症状が戻る」
「薬を飲んでも、緊張すると症状が出る」
「仕事の日だけお腹の調子が悪い」
といった場合には、腸だけでなく、腸と脳・神経系の関係にも目を向けてみる価値があります。
近年は、認知行動療法や腸指向性催眠療法など、脳と腸の相互作用に働きかける治療についても研究が進んでいます。
SEも、身体感覚に気づき、身体の反応を丁寧に扱っていくアプローチの一つです。
ただし、IBSに対するSEの効果については、今後さらに研究が必要です。
だからこそ、
「この症状をなくさなければ」
と身体と戦うのではなく、
「今、身体では何が起きているのだろう」
と、少しだけ立ち止まってみる。
お腹の症状をきっかけに、自分の身体の声に耳を傾けることから始めてみてはいかがでしょうか。
※血便、意図しない体重減少、発熱、貧血、夜間に症状で目が覚める、50歳以上で初めて症状が出た場合などは、IBS以外の病気が隠れている可能性があります。自己判断せず、まず消化器内科にご相談ください。すでにIBSの診断を受けている場合も、治療方針については主治医にご相談ください。
痛みや不調が長く続いている方へ
当オフィスでは、お話をうかがいながら、身体の感覚を手がかりに神経系へ働きかけるSE™やEMDRを行っています。言葉で整理するだけでなく、身体からも痛みの背景に近づいていきます。まずはいまの状態とこれまでの経緯をお聞きし、無理のないペースで進めます。
→ セッションの流れ・料金
参考文献・参考情報
- 日本消化器病学会『患者さんとご家族のための過敏性腸症候群(IBS)ガイド2023』
- 日本消化器病学会『機能性消化管疾患診療ガイドライン―過敏性腸症候群(IBS)』
- Khasawneh M, et al. Efficacy of gut-brain neuromodulators and brain-gut behaviour therapies for irritable bowel syndrome: systematic review and network meta-analysis. Gut. 2026.
- Thakur ER, et al. Efficacy of behavioural therapies for irritable bowel syndrome: a systematic review and network meta-analysis. Lancet Gastroenterology & Hepatology. 2025.
- Somatic experiencing – effectiveness and key factors of a body-oriented trauma therapy: a scoping literature review. 2021.
- ラヴィーン, P. A.(池島良子ほか訳)『身体に閉じ込められたトラウマ』星和書店、2016年
- ヴァン・デア・コーク, B.(柴田裕之訳)『身体はトラウマを記録する』紀伊國屋書店、2016年